安田 誠(やすだ まこと)
1964年(昭和39年)10月生まれ
血液型B型
[職歴]
1990年~
名古屋テレビ放送入社。広報、報道、メディア戦略部門に従事。
2001年~
スイス系製薬ロシュ社糖尿病診断薬部門マネージャー、医療機器世界一の米国GE社のヘルスケア部門の周産期事業部長を経て、一宮西病院で健診センター創設に従事。
2011年
市議会議選挙にて2位で初当選。
[経歴]
1990年
岐阜大学教育学部英語英文学科卒業
(在学中、文部省ブラジル カンピーナス大学交換留学)
2001年
米国ボストンHULT国際経営大学院卒業、米国経営学修士(MBA)取得
[主な役職]
2011年度
一宮市都市計画審議委員
2012年度
一宮市総合計画審議会委員産業行財政部会長
一宮市公害対策業協議会委員
尾張農業協同組合事務組合議会議員
2013年度
福祉健康委員会副委員長
一宮市国民健康保険運営協議会委員
一宮市民生推薦委員会委員
一宮市交通安全都市推進協議会委員
議会改革検討協議会
防犯協会神山支部副支部長
一宮未来まちづくり研究所顧問
2014年度
企画総務委員会副委員長
一宮市都市計画審議会委員
公益財団法人一宮市ファッションデザインセンター評議員
一宮市防犯協会理事
シルバーライフ顧問
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1964年10月3日 岐阜県養老生まれ 誕生日の2日前である10月1日は東海道新幹線の開業。東京オリンピックが開幕(10月10日)まであと1週間にせまり、日本中が経済復興とオリンピックムードで沸きかえっていた時期。そして、誕生日当日の10月3日は叔母の結婚式当日、翌日からは地区の秋祭りという、「誠におめでたい」出来事づくしの中、岐阜県の養老で生まれ、「誠実」に育ってほしいとの思いから「誠」と名付けられました。
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小中学校は地元の学校へ通いました。学級長、生徒会長をすすんでやる活発な子供でした。なぜかベートーベンの第九のテーマ「人類愛」が気に入り、文化祭の時、クラスを巻き込んでドイツ語で歌ったのはいい思い出です。
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1980年 岐阜県立大垣西高校入学(第一期生です)教員一家で育ち、「教師は天職」という高校教諭であった父や回りの影響で、地元の教育学部に進む。
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1983年 岐阜大学教育学部英語英文学科入学 クラッシック音楽が大好きだったので岐阜大学管弦楽団(楽器はチェロ)に入団し、多く仲間や先輩と一緒に交響曲を作りあげる楽しさにのめり込む。
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在学中、文部省の派遣留学の機会を得てブラジル サンパウロ州立カンピーナス大学に留学させていただきました。世界は広い。日本社会の閉鎖性や、ブラジルの老若男女がお祭りのように盛り上がる選挙を目の当たりにしてショックを覚えました。
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ブラジルでの衝撃的な体験 大学への満員のバスでの通学途上、一人の高齢女性がバス停を降り損ない、一人の若者が「バスを止めろ」とさけびました。すると皆が呼応し「止めろ」コールが湧き上がり、運転手は両手を上げて止めると、バスが大歓声で揺れるほど。こんなことは日本では起きない!国民性の違いとはいえ、日本社会にないおおらかさに、「日本は社会の仕組みがあって、人がある」「本来、人があって、そのために社会があるのでは?最大多数の最大幸福の新しい仕組みを作ればいい」と考えるようになりました。
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ブラジル体験を経て、将来は教員ではなく社会をより良くするメッセージを伝えたい、広い社会を肌で知りたい。という思いが強くなりました。

幼少期 〜 学生時代

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1990年名古屋テレビ放送入社。一宮に住み始めたのは20代の後半。職場の名古屋に通勤しやすく、また「一宮」という由緒ありそうな名前に惹かれました。
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名古屋市政キャップや愛知県警・司法担当として事件事故・行政ネタ・選挙の中継やレポートをスピーディにこなす現場の毎日。当時、愛知県に検察の中の検察と言われる、愛知地検特捜部が新設され、特捜部長へ夜討ち朝駆け。
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忘れられないのが、三重報道支局に赴任し、全国の行政改革・地方分権先進地と言われたお三重県北川県政との出会い。イギリスのサッチャー改革にならって役所を「行政サービス」へと変貌させた北川知事の姿に憧れました。
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「役所は市民のパブリックサーバント」「県は本来なくてもいい」北川知事の行政を根底から変える言葉に体が震えた。
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テレビ局のメディア戦略部へ。インターネット時代のテレビ局の生き残り戦略構築が課題でした。
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ラスベガスで開かれる世界最大の放送・映像業界のイベントNAB Showで放送・通信の近未来の姿を視察、アメリカ企業のイノベーションへのエネルギーに興奮しました。
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どうしたら、社会の変化に組織として関心を向け、大きな戦略目標を共有し動いていけるのか?そんなことができるリーダーになりたい!グローバル企業で自分の力を試したい!と強く思うようになり、経営大学院への留学を決意しました。
テレビ局社員で走り回った20代30代 「日本一の行政改革に出会う」


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国際性とプログラムの評価が非常に高い1年制のアーサー・D・リトル経営大学院(HULTに名称変更)に入学。世界的な大学や研究機関などが集まるハイソな建国の町ボストンでの生活は、ほぼアパートと教室の往復。凄まじい量のケーススタディとチームワーク重視の授業。毎日睡眠時間との闘い、ヘトヘトになりながらの学位取得は自信になりました。
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バランスドスコアカードによる組織を強固な学習し続けるチームに変える経営改革に心酔。
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世界的指揮者の小澤征爾さんによる名門ボストン交響楽団でのラストコンサートに遭遇できたのはラッキーでした。
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留学した矢先に、9.11アメリカ同時多発テロ発生。採用冬の時代に突入し本当に厳しかった。
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ほとんどの企業が軒並み新規採用ゼロの中、幸運にも、2002年スイス系製薬大手のロシュ社日本診断薬部門の糖尿病事業へ採用が決まりました。
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40代の義理の兄が胃がんで亡くなった直後で、「病気が早く見つかっていたら」との思いが重なり、未知の外資系医薬会社の世界へ飛び込みました。
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ロシュ社のベテラン事業部長の右腕となるマネージャーとして、事業提携からマーケティング戦略、組織育成、リーダーシップなど事業現場で揉まれました。
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中でも自分が中心となって取り組んだ、顧客志向を兼ね備えた組織風土に変える独自の改革プログラムで売上も倍増。社長表彰「営業・マーケティング賞」をいただきました。プロジェクトマネージャーとして血糖測定器機では初めてグッドデザイン賞を受賞しました。
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また血糖値の動態をセルフチェックする血糖自己測定(SMBG)は欧米ではOTCとして認められるのに、日本では危険度の高い医療行為となっているため、規制の緩和をアメリカ商工会議所として国へ働きかける啓発活動等を通じて予防医療に関心が広がっていきました。
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医療機器で世界最大の米国GE社の日本ヘルスケア事業会社 事業統括責任者にヘッドハンティングを経て従事。
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世界的な経営人材を排出し続け、常に成長を続けるグローバル企業の意思決定のスピード感は凄まじかった。見聞きする日本の会社とは違い、国籍・性別・年齢関係なく人を活かし、よりよい事例を吸収する企業文化や、常に改革への挑戦を尊重する経営風土に薫陶を受けました。
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こんなダイナミックなマネジメントを、事なかれ主義の行政や自治体経営で実行できれば日本はまだまだ立ち直るかもしれないとの思いが宿りました。
アメリカ 大学院留学、世界的グローバル企業で組織改革に挑戦!
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なぜ一宮市議会議員になったのか?日本が世界での地位をどんどん低下させていく中、このままでは日本は世界から残されてしまうのではないか? 政権交代後、民主党政権が迷走し、国が進むべき新しい道を提示できず、バラマキで子供世代にどんどんツケを回し続ける既存の政治を見て、「日本は壊れてしまうのではないか?」と不安を感じ始めました。
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高齢化による膨れ上がる日本の医療費用や社会の閉塞感を見て、「病気になった人に税金をかけるのではなく、その前に力を注ぐ予防医療の仕組みを地域で作れないのか?」「今までやってきた民間での組織改革は行政や政治にこそ最も必要なのではないか?」と感じ始めていました。
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そんなとき、実家の父のがんによる余命宣告を聞いた。東京から離れる時かもしれない。予防医療のモデルを地域で作りながら政治を目指ざそう。地方の志士たちによって明治維新が動いたように、10数年前、三重県から風穴を開けた動きは、大阪や名古屋で蠢き始めていました。
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「地方から日本の政治を作りかえなくては」との思いをより強く感じ始めました。
そんな中、名古屋で大きな政治の動きがありました。
「税金で飯を食っている役人や政治家が楽をし、庶民が苦しんでいる仕組みを変えないかん」と、職業議員化反対、徹底した行財政改革による無駄の排除で税金を還元する減税、議員報酬800万円、などを掲げた「庶民革命」のうねりが、政令指定都市史上初めて住民投票による名古屋市議会リコールを成立させた。
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中央と地方の関係、市民と議会の関係が変わりはじめたと感じた。
名古屋や大阪など地方から日本の閉塞感や既得権を打破するうねりに共感しました。
名古屋テレビ勤務時代から住み始めて愛着があり、当時一宮西病院の健診センターの創設に従事し仲間もいた一宮市で、古い「しがらみ」と「無駄」を断ち切り、全国に知られるような市民本位の行政改革、予防医療のモデルを作りたいと一宮市議会議員に出馬し、2位で当選させていただきました。
なぜ一宮市議会議員になったのか?


家族・・・妻、犬
好きなもの・・・映画鑑賞、クラシック(チェロを少々)、めん類(アルデンテ!)、ゴルフ(最近は手頃なグランドゴルフにシフトしました。)
好きなことば・・・まず龍となれ、雲自ずから湧く、禍福はあざなえる縄のごとし


